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AI時代に問われる「非認知能力」をスポーツが育む理由

本来、スポーツはそれ自体が心と体を育むものですが、日本の場合、戦争とオリンピックの影響で体育と混同してしまった面は否めません。 “スポーツには必ずしも知的側面は必要ない。体が頑丈ならそれでいい” もっと前には、“戦争に行く体力さえあればいい”、そんな風に考えられた時代もありましたが、今ではスポーツ科学が発達し、動作解析や試合展開の戦略の知的機能も科学の対象となってきました。

今後は、これら科学的分析を生かす人の心の問題がさらに重要視されるはずです。パワーや角度、スピードなど科学的な分析が進むのは大歓迎ですが、最終的にやるのは人間です。

時代の流れからすると、初めに体があり、そして知と体が結合して新しい科学ができ、さらに非認知能力が加わりました。そして、それがこれからのスポーツの方向性かもしれません。

今回はSports Japan Vol.49 2020 05-06を参考文献に「非認知能力」の重要性を考えます。

これからの時代に求められる非認知能力って何だ!?

そもそも非認知能力とはいかなるものか。

非認知能力には「自己の力」と「社会性の力」の二つの側面があり、前者は自分を大切にする、高めようとする、自己の心にかかわる力を指します。情動を抑え、行動をコントロールする自制心が高く、自分で考え、行動する自律性があれば昨今注目されている「グリット(やり抜く力)」や頑張る心も高まります。対して後者の社会性は、集団に溶け込み、その関係をうまく維持していく力。決まりやルールなどの規範意識や道徳性なども含まれます。

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自己の力と社会性の力、ポイントとなるのは両者の根底には、ともに感情をコントロールするというキーワードが横たわっていることです。

非認知能力

・自己の力:自分を大切にする、高めようとする、自己の心にかかわる力
・社会性の力:集団に溶け込み、その関係をうまく維持していく力

ある海外での研究があります。ある幼稚園に一定数の子供(3歳から)を2年間通わせます。一方、比較対象群として幼稚園に通わない子供、この2グループを設定し追跡調査を始めました。その差が生き方の違いにどのように表れるか見るものでした。

実は、この研究は今も継続していますが、子供たちが40歳になった時点までの結果が発表されていて経済的に安定している、サラリーや持ち家率が高い傾向があるなどに加え、生活保護を受けていない、警察の世話になっていないなど、幼稚園に通った群はより健全な大人になっていることが明らかになりました。

となると、なぜその差はうまれるのか。早くから幼稚園に通えば、それだけ勉強する機会に恵まれ、頭が良くなる。。。そう考えるかもしれませんが、違います。確かに一時期、幼稚園に通った群のIQは高い結果が得られたものの、10歳ぐらいになるとその差は消失します。幼少期のIQの差は必ずしも幸福(経済的安定)度の差につながらない。

ならば、その差を左右するものは何なのか。

非認知能力が身につくとそれが土台になって認知能力を高めていきますが、その逆の現象は見られません。

非認知能力が求められる理由

非認知能力と対比して考えられるのが認知能力です。認知能力というのは簡単に言えば、かつて最重要視されていた ”IQ” です。

かつて、IQは高いほどいいという幻想が抱かれた時代もありますが、今は、仮にIQ100の子供が200になれば、2倍幸せになるのか?それよりも、一定のIQに、プラスして非認知能力を身に着けることが大切で、それが幸せにつながると考えられるようになりつつあります。ただ、この考え方はむしろ至極当然なことで、ここにきて常識が改めて学術で言われるようになったと捉えられます。認知能力(IQ)があまりに偏重され、それ以外の能力は二の次、三の次にされすぎていました。その反動もあってのことでしょう、ゆえに、今、人間の土台形成の中でことさら強調されるようになっています。

近い将来、情報処理などの認知能力を最も得意分野とするAIに人間が取って代わられるなどと言われています。これまでは、一つのことをやり続ける、ひたすら商品を売り続ける、そんな耐久心や忍耐力が評価されてきましたが、そうしたことは今後、機械やコンピューターが人間に代わってやるようになる。ならば、そのとき人間に必要になるものは何か。クリエイティブする力、仲間と強調し、時には協議し、物事を遂行する力など、そんな能力がこれまで以上に求められる時代が到来します。

今後求められる力

・創造する力
・仲間との協調力
・協議し、物事を遂行する力

AI時代で生きるための非認知能力

現在の社会は変動性に富み、不確実で複雑かつ曖昧な時代です。何が良くて何が悪いのか、そうした価値観がぐちゃぐちゃの中で、どのように生きていけばいいのか。それには自ら考え、判断し、行動する力(選択と決断)こそが必要となります。行動に責任を持つ重要性が今まで以上に必要である一方で、それが独りよがりではいけないのです。

AIの浸透で今後は、人間の特性がより求められるようになります。
今後は、自分で考え、乗り越えていく力が求められます。勉強ばかりではなく、生きるための力AIに勝つ能力ではなく、人間独自の力の重要性が問われるようになります。大人がそうしたことを意識せずにやっていればたとえ同じことをやっていても結果は異なってきます。その意識を持つことで、言葉かけ一つとっても変わってくるはずです。
“できた、できない”の尺度で評価すれば、その子供は人に対しても同じように判断してしまいます。

選択と決断

・自分で考え、乗り越えていく力
・勉強ばかりではなく、生きるための力
・AIに勝つ能力ではなく、人間独自の力

非認知能力を高めるためには

こんな統計があります。

学力テストの結果を最も左右するのは家に50-100冊と多くの本があることで、25%もの差がでる。2番目は読み聞かせの習慣の有無があるで18%。興味深いのは3番目、博物館や美術館に連れていく習慣があるで17%を示し、これは、毎日朝食をとるの10%を大きく上回ります。すなわち、好奇心を誘う環境があれば子供は勝手に学んでいくことを物語っています。

さらに、幼児は時間割や教科書などの制約に縛られず、遊びの中で“なんでだろう” “どうなっているんだろう” そんな思いからどんどん探求していきます。例えば、どうしたら砂山を壊さずにトンネルを掘れるか。スムーズに車を走らせるには車軸をどこに通せばいいか、坂を急にしたらどうなるか。納得するまで追求する。自分で定めた目標に向かう集中力や没頭する姿は非認知能力を養っている最中で、好奇心の塊がそこにはあります。

小中学生などは、あれをしなさい、これを覚えなさいの制約から、もう一つやる気が上がらない印象です。いずれにしても、今や知識はAIはじめコンピューターが持っている時代で、我々人間に求められるのは、そうした知識をどのように活用するかということ。それにはやはり、人間にしかない能力、やる気、情動や社会性が大事なポイントになるはずです。

非認知能力は教科書を読めば、先生の話を聞けば身につくというものではありません。もちろん、知識としては頭に入りますが、強烈にうれしい怖い悲しい、こうした感情を伴って初めて強く染みるものです。

そのとき、周りの大人が何をしてくれたか、近くの友達はどうだったか、そして自分は何をしてやれたか困った人がいれば本当に助けられるか。そこにどれだけ当事者性があるか。一つ一つの経験が豊富にあり、感情の当事者になれるのは幼いころの方が多く、年を重ねるにつれ少なくなっていくものです。

スポーツの場面でもそうですが、家庭でも特に我が子の苦手なことに目が行きがちになるものです。(父親はスポーツの場で、母親は家庭内で)“できるようになってほしい”の思いがあってのことでしょう。でも、自立心が高まれば子供は苦手なことにもでもどんどんチャレンジしていきます。赤ちゃんにおしめを取れと言っても無理なことですが、子供にただやれと言っても無理があります。心の成長があって初めて人間はできるのです。

非認知能力を伸ばすには

感情の当事者となれる機会を増やす

非認知能力とスポーツは非常に相性がいい

スポーツと非認知能力は非常に親和性が高いものです。

自己の弱点を知り、その上でいかに修正するか、もちろんサイエンスの部分でサポートされる面もあるでしょうが、生身の人間として最後に残るのは、心。

その心で、どう感じているのか。そういう意味ではいわゆる体育会系の抑え込み指導では非認知能力は発揮されず、また育ちません。

一流のアスリートと呼ばれる人ほど最後は自分で考えている姿が実に印象的です。

人から優しくされて優しさの意味を知る。勉強は一人でできますが、ケンカやコミュニケーションは、相手がいて初めてできるものです。それゆえ、スポーツはその格好の場となります。

礼儀や挨拶整理整頓思いやり保護者への感謝、大勢の前でやってみる

積極性など、スポーツではそうした場面が数々ありますが、教室でドリルを

解いているだけでは、それらはほとんど出てきません。

ノーベル経済学賞を受賞したJ・ヘックマン氏は学力と社会的成功はイコールではないと言っています。

学力(認知能力)を否定するわけではないですが、机に座り続けて学ぶよりも、スポーツでトライ&エラーすることがどれほど大事でしょう。

学力は仮に20歳から始めても身につくでしょうが、非認知能力が高まれば “なぜ勉強が大事なのか” を学べる。こうした力をより早い段階から身に着ければ、雪だるま式で更なる学びにつながっていく。20歳になるころには大きな差となっているはずです。

非認知能力を養うには大人の介入が必須です。

感情が壊れた時の避難所となり感情が元に戻れば、また元気よく送り出す基地となれるかです。避難所と基地のバランスが大切だと考えます。

子供が何か困っているとき、帰ってこられる避難所の役割となる。そして、そこで子供が元気という情緒的燃料補給を済ませたら安心して飛び出していける基地となる。

少々怖くても、また一人で立ち向かっていけるような環境を大人が築くことが出来れば、子供はその中で知らず知らずのうちに非認知能力を身に着けていける能力を持っています。

スポーツの世界にでも同様で、例えば、監督は基地、コーチは避難所となり、それをベースに子供はチャレンジしていく。

探索心旺盛に、やる気を持って活動し、その時こそ、まさに子供たちは最も伸びるものです。遊びの前提には“やりたい”がありますが、それこそ重要であり、スポーツが本来持っているものも同様でしょう。

“やらされるから仕方ない”そうではなく、“もっとやりたい!”“こうやったらどうだろう?”など、こうした非認知能力が身についていれば、技能にとどまらず、もっともっと高みに行ける可能性もあるはずです。